四国周遊その4(高知)
 四国を4つに分けて過去の写真を整理する第4弾の四国西南部です。
ほとんどが高知県で、愛媛県の南部の宇和島も含めました。
高知へは3度行っていますが南部は1度だけ、四国最南端の足摺岬へ
訪れています。愛媛県には4回ほど訪れており、その時の写真を集め
ました。
 
高知市: 高知市街、 高知城
 
四万十市:
四万十川(沈下橋)
中村(安並水車の里)
   
土佐清水市: 足摺岬(灯台)、 竜串海岸
   
宇和島市: 宇和島城
 

 
土佐は戦国時代は長曾我部家の領地であったが、関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ、江戸時代は山内一豊が替わって土佐藩となり、幕末の山内容堂までずっと山内家が土佐藩主であった。山内一豊は今の高知市に高知城を築城し、今に至る。
 
   
         
高知市
 高知県庁のある高知市の中心市街地は高知平野の南部ですが海からは少し離れ、南側には大きな断層による小山脈で挟まれ、市街地は主に鏡川の両側に広がる平野部に集まっています。
  五台山から見下ろす、鏡川を挟んで広がる高知市街 高知駅の駅前広場 駅前広場に立つ3志士の像 はりまや橋
現在のはりまや橋の脇にひっそりと昔の赤いはりまや橋 市街から南へ12Kmで桂浜に到着 桂浜のはずれの龍王岬、海津見神社(龍王宮)があります 龍馬像 全体の高さは13.5mもあります  
市街に戻りました。幕末の土佐藩も明治維新には重要な働きをしました。
  土佐藩下屋敷跡に残る武家長屋 下屋敷は西郷隆盛と山内容堂が会見し倒幕の決起を図ったところ 武家長屋の内側 下屋敷跡は現在は有名ホテルになっています
高知城の追手門の前の通りは、日曜日には東西1Kmに渡って道路の半分が車が排除されて高知名物の日曜市が開催されます
ホテルの庭園の片隅にあった昭和時代のはりまや橋の欄干   約300店が出店を開くというが・・この日は雨! 残念ながら雨で店を出しているのはちらほらのみ  
   
ひろめ市場 特産品のお土産を買うのに最適。テーブルで飲んだり食べたりも 新鮮なカツオのたたきが目の前で焼いてくれる    

高知城
土佐藩山内一豊が建てた城。江戸時代の天守や本丸御殿が現存する貴重な城です 初代藩主・山内一豊の銅像 街の中に小山があってお城の天守が見えました お堀を渡ると追手門 門の外側が桝形風になっている門構えです
追手門の背景に天守が見えるカッコいい城はなかなかありません 門の前には国宝との石碑がたっていますが、現在は国宝ではない 追手門も昔のまま現存しています 右の石垣の上が三の丸 三の丸石垣のこの辺りは平成21年にかけて積直し工事された
高知は雨の多い所で、築城にもいろいろ工夫がされています 天守が全身を現した     詰門の前を見下ろす石段が天守の側面を写すポイント
2階は本丸(左)と二の丸(右)の間に架かる渡り廊下である「詰め門」   本丸の石垣と天守 二の丸です。 目の前は本丸へ渡る渡り廊下(詰門の上) これが本丸への通路とは最初気が付きませんでした
     
中は間仕切りがあり、登城した家臣の詰所であった 本丸御殿。御殿を通って天守へ登ります      

四万十市
四万十市の中心の中村は高知から100Kmほど南西になります JR中村駅近くの四万十川橋(通称:赤鉄橋)は四万十市のシンボル 川の東西を結ぶ鉄橋は市民の強い期待を受けて大正16年に完成 中村から北へ約3.5Kmのきれいな田園風景の地 土佐藩が四万十川の水を引いて田畑を灌漑したところ
用水路には水車が並んで回っている田園風景が見どころ       四万十川の沈下橋をいくつか見に行きました
一番下流にある「佐田沈下橋」 全長291m、幅は4.2m。水面からは2~3mはありそうです 渡る車がいたので、私も渡ってみました。対向車が来たらダメですね 渡り切った対岸から振り返る 長瀬沈下橋。 幅が3.4mと狭い。
表の道路から橋へ降りる道が狭く、帰りはバックで戻ります 国道441号線を走っていると見えてくる岩間沈下橋 岩間沈下橋 対岸へ渡って車を停めた 橋桁が落ちて通行止めがありましたが2021年修復工事が終わりました
     
全長120m、幅員3.5m 橋へ下りる導入路から橋の上の対向車の有無が見えず怖いです

足摺岬と足摺岬灯台
土佐清水市は高知からJRと土佐くろしお鉄道で中村駅まで約1時間40分、更にバスで約55分かかるかなり遠方の地なので何度も訪れることは難しいかもしれませんが、黒潮が見える南国ムードの楽しい所です。
四国の最南端で、太平洋の黒潮がぶつかる岬です   足摺岬は断崖がほとんどで砂浜はこのアロウド浜くらいです 隣の白山洞門 海岸の道路(県道27号線)
岬の最南端の宿 白山神社の先は亜熱帯植物のトンネル。植物園もあります   岬の展望台に立つ銅像はジョン万次郎です 駐車場もあります
ジョン万次郎の生家は岬の中ほどにあります 展望台の道路向かいには四国霊場第38番札所の金剛福寺があります   太平洋の黒潮に向かって光を送る足摺岬灯台 この日は波静かでした

高さが40mほどの崖の上に立つ灯台の高さは18mあります   四国最南端のマーク 左手の崖の先端にある天狗の鼻展望台が眺めが最高だとか  
天狗の鼻に向かう道は椿のトンネルでした 灯台は台地より一段下がった崖の上に立っています 右上の台地の上に展望台があります 灯台までの散策路の途中には不思議なスポットがあります
地獄の穴 亀呼場 浜木綿 灯台下に到着 この灯台は中には入れません
       
         

竜串海岸
足摺岬のとなりにある竜串海岸と見残し海岸と海域公園は他では見られない奇岩奇景や珊瑚礁の海が見られるのでぜひ行ってみるべきところでしょう。 遊覧船は2つの港から出ていますが、手前にある竜串観光汽船に乗りました。
  竜串の浅い海は亜熱帯性の珊瑚礁と海岸線の奇岩奇景で驚かされる 遊覧船を予約し、海岸に向かう はまゆう 漁港へ向かう途中の浜の景色から何か違和感を感じ始めた
砂地の一部に現れた不思議な色と形の岩が目に入った 土ではなく、岩です 防波堤の外に遊歩道があります 奇岩の海岸をぐるっと回って隣の港へ繋がるようです 海岸は歩きにくい岩場です
砂面ではなく、岩面がブツブツしています ハチの巣のような穴だらけの岩です 岩の中に閉じ込められた茶色の石。1個や2個ではない 地盤がひっくり返った岩。室戸岬にも似たような岩が海岸にありました 宮崎県の鬼の洗濯板によく似ています
遊覧船が出る時刻になったので、海岸から引き返し、港の方に戻ります
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レンコンが並んでいるようにも見える     向こうに見えるのは隣の海岸から行ける足摺海底館(海中展望塔)  

遊覧船の出る船着き場 船底のガラス窓から海の中が見えるようになっていた   入江の中は水深が浅いので、海底の珊瑚や魚がいろいろ見えます 珊瑚礁です

    千尋岬の見残し海岸に近づく シコロサンゴの群生地にやってきました 船上から肉眼でシコロサンゴの群生が見ることができます
見残し海岸に上陸します

竜串のシコロサンゴ群生は日本一です 不思議な形の珊瑚ですね      
  遊覧船は30~40分ごとにやって来ます   岩場の景色は港の方とおなじです 船をつなぎ止める杭のような岩
    回遊路はたいへん狭い岩肌を伝って歩く海に落ちそうな道です   砂の堆積岩ようです
    傾いた板状の岩がここにもありました    
  茶色の地面は砂地ではありません。固い岩です   四国というのは凄い生まれ方をした大地ですね 帰りの船がやって来ました
       
         

宇和島
足摺、竜串から北へ、高知県から愛媛県に入ります。宇和島市は四国西部の海に面した
大きい町で、江戸時代の伊達10万石宇和島藩の宇和島城があります。自然がよく残され
た城山に古いこじんまりと纏まったお城が残されていて趣のある好きなお城の一つです。
宇和島城は藤堂高虎の城でしたが、のちに伊達家に移りました 当時は北面と西面は海でした
(宇和島市役所のページより)
東北側にある登城口ですが、昔の家老の武家屋敷長屋門を移設した 高虎の造った5角形の城郭は攻め手の錯覚をおこさせるもの 門を入るとすぐに登りの石段が続く
井戸丸あと 宇和島城内の井戸の中でも最も重要とされた井戸 二の丸へ向かう石段が続く 本丸の石垣が見えてきた 三の門があったところ
高虎が今治へ移った後、仙台伊達政宗の長男・秀宗が入った 伊達家によって7年がかりで大改修がされています ここは二の丸。石段を登れば一のご門があったところで本丸の入口です 本丸 2代目の天守です
伊達家による天守は平穏な時代で、鉄砲狭間もない優美な姿です 天守1階の武者走り。内側に障子があるのは珍しい 万延元年の大改修の時の天守のひな形模型 天守3階 城が海に面しており、堀が海に繋がっているのが示されている
天守から見える現代の港と海 2015年に開通した宇和島道路が見える 天守前の広場で何やらゆるキャラの来るイベント?? 宇和島伊達400年祭に協賛で集まった記念撮影でした 右が宇和島市の「伊達にゃんよ」、左は青森県弘前市の「たか丸くん」
    小さい天守では、丸亀城を思い出しました 城山を南側に回ると古い石垣があります 南側の搦手道口にでました
       
城山南側の搦手道口には薬医門形式の城門が現存しています      



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高知市
 高知県の県庁所在地で、面積309km² 人口31万人の年で、松山市、高松市に次いで3番目に大きい都市です。
駅前に立つ幕末倒幕の3志士
 JR高知駅前広場には幕末の志士、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の銅像が立っています。
山内家下屋敷長屋
 土佐藩山内家の下屋敷のあったところで、併設された武家長屋が残されている。この下屋敷は幕末に島津家の命を受けた西郷隆盛が土佐藩山内容堂の上洛を求めて会談をした場所で、これにより明治維新の四候会議が実現した始まりの場所です。
高知城
 高知平野のほぼ真ん中に位置する大高坂山(標高45m)に築かれた平山城で1601年に山内一豊が土佐藩に入って築城した。3層6階の天守は一豊のあと、2代目の代に完成。天守と本丸御殿が両方現存する唯一の城です。昭和の初期に天守ほかが国宝に指定されましたが、昭和25年には国宝の指定から外されています。
四万十市中村
 高知から約110Kmほどの距離になる四万十川の河口近くにあり、四万十市市役所の所在地。室町時代、応仁の乱の戦火を避けるため、関白一條教房公がここに中村御所を構え、京を模して町並みが造られたので土佐の小京都と呼ばれました。
安並水車の里
 土佐藩の家老野中兼山が手がけた土木事業の遺構です。四ヶ村溝は、四万十川の支流後川の麻生に、分水目的の井堰(長さ160m、巾11m)を作り引水し、秋田・安並・佐岡・古津賀の四ヶ村を灌漑(かんがい )して田畑を開墾したもの。水路にはいくつもの水車が並び、田園風景として観光スポットになっています。
四万十川
 高知県高岡郡津野町の不入山(いらずやま)を源流とし、県中西部を逆S字を描くように蛇行しながら多くの支流を集め、四万十市で太平洋に注ぎこむ。河口附近では「渡川」という名前であるため、水系名は「渡川水系」となっている全長196km、流域面積2186km2の四国内で最長の川です。本流に大規模なダムが建設されておらず、日本最後の清流と呼ばれています。
沈下橋
 四万十川の沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです。そのほとんどが昭和30年代以降に架設されていて、それは流域の交通手段が筏・センバ舟・高瀬舟などの水運から、車・トラックの陸路に変わったことと大きく関係しています。高度経済成長期を迎えインフラ整備が急がれる中、橋脚が低く、欄干がなく、橋長も短い沈下橋は、建設費を低く抑えることが出来たため、高知県内河川で多く採用されました。
足摺岬
 四国最南端の岬。黒潮本流が直接ぶつかる全国で唯一の場所です。展望台からは270度以上の視界が広がり、自然が織りなすダイナミックな景観をのぞめる。標高433mの白皇山を中心とする花崗岩台地が隆起と沈降を繰り返してできたものです。この周辺は足摺宇和海国立公園に指定され、椿、ウバメガシ、ビローなどの亜熱帯性植物が自生しています
足摺岬灯台
 足摺岬の先端の約40mの高さの断崖に立つ白亜の灯台。高さ18m。光度46万カンデラ。光達距離38km。わが国でも最大級の灯台のひとつで、大正3年(1914)に点灯。
竜串海岸
 足摺岬に近い竜串海岸、竜串海域公園は日本初の海域公園で、砂岩の海食台地や奇岩奇勝が魅力のスポットです。見残し海岸は竜串から徒歩で行ける遊歩道やグラスボートで渡れる海中景観が楽しめます。
宇和島城
 1601年、築城の名手といわれた藤堂高虎が築城した城で、その後1615年に仙台伊達政宗の長男・秀宗が入城し宇和島藩伊達家の居城として明治まで続いた城です。明治になって堀は全て埋められ周りは市街地になってしまいました。高虎築城の天守と伊達家の時代の天守は姿は異なっているものです。