高知市
高知県の県庁所在地で、面積309km² 人口31万人の年で、松山市、高松市に次いで3番目に大きい都市です。
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駅前に立つ幕末倒幕の3志士
JR高知駅前広場には幕末の志士、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の銅像が立っています。
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山内家下屋敷長屋
土佐藩山内家の下屋敷のあったところで、併設された武家長屋が残されている。この下屋敷は幕末に島津家の命を受けた西郷隆盛が土佐藩山内容堂の上洛を求めて会談をした場所で、これにより明治維新の四候会議が実現した始まりの場所です。
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高知城
高知平野のほぼ真ん中に位置する大高坂山(標高45m)に築かれた平山城で1601年に山内一豊が土佐藩に入って築城した。3層6階の天守は一豊のあと、2代目の代に完成。天守と本丸御殿が両方現存する唯一の城です。昭和の初期に天守ほかが国宝に指定されましたが、昭和25年には国宝の指定から外されています。
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四万十市中村
高知から約110Kmほどの距離になる四万十川の河口近くにあり、四万十市市役所の所在地。室町時代、応仁の乱の戦火を避けるため、関白一條教房公がここに中村御所を構え、京を模して町並みが造られたので土佐の小京都と呼ばれました。
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安並水車の里
土佐藩の家老野中兼山が手がけた土木事業の遺構です。四ヶ村溝は、四万十川の支流後川の麻生に、分水目的の井堰(長さ160m、巾11m)を作り引水し、秋田・安並・佐岡・古津賀の四ヶ村を灌漑(かんがい )して田畑を開墾したもの。水路にはいくつもの水車が並び、田園風景として観光スポットになっています。
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四万十川
高知県高岡郡津野町の不入山(いらずやま)を源流とし、県中西部を逆S字を描くように蛇行しながら多くの支流を集め、四万十市で太平洋に注ぎこむ。河口附近では「渡川」という名前であるため、水系名は「渡川水系」となっている全長196km、流域面積2186km2の四国内で最長の川です。本流に大規模なダムが建設されておらず、日本最後の清流と呼ばれています。
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沈下橋
四万十川の沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです。そのほとんどが昭和30年代以降に架設されていて、それは流域の交通手段が筏・センバ舟・高瀬舟などの水運から、車・トラックの陸路に変わったことと大きく関係しています。高度経済成長期を迎えインフラ整備が急がれる中、橋脚が低く、欄干がなく、橋長も短い沈下橋は、建設費を低く抑えることが出来たため、高知県内河川で多く採用されました。
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足摺岬
四国最南端の岬。黒潮本流が直接ぶつかる全国で唯一の場所です。展望台からは270度以上の視界が広がり、自然が織りなすダイナミックな景観をのぞめる。標高433mの白皇山を中心とする花崗岩台地が隆起と沈降を繰り返してできたものです。この周辺は足摺宇和海国立公園に指定され、椿、ウバメガシ、ビローなどの亜熱帯性植物が自生しています
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足摺岬灯台
足摺岬の先端の約40mの高さの断崖に立つ白亜の灯台。高さ18m。光度46万カンデラ。光達距離38km。わが国でも最大級の灯台のひとつで、大正3年(1914)に点灯。
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竜串海岸
足摺岬に近い竜串海岸、竜串海域公園は日本初の海域公園で、砂岩の海食台地や奇岩奇勝が魅力のスポットです。見残し海岸は竜串から徒歩で行ける遊歩道やグラスボートで渡れる海中景観が楽しめます。
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宇和島城
1601年、築城の名手といわれた藤堂高虎が築城した城で、その後1615年に仙台伊達政宗の長男・秀宗が入城し宇和島藩伊達家の居城として明治まで続いた城です。明治になって堀は全て埋められ周りは市街地になってしまいました。高虎築城の天守と伊達家の時代の天守は姿は異なっているものです。
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